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早春号、出ています<(_ _)>
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形を変えるもののデザイン。
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形を変えるもののデザイン、という表現から考え付くものとしては
いろんなものが浮かぶと思うのです。
本やノートだって開くし、チラシだって折って郵送したりするし、
ストローは曲がるし、ロボットはトランスフォームするし…
まああの、今回は、そんなものたちよりもっとわかりやすいもの、
「布製の身に着けるもの」を発端に、ふと思ったことなのですが。
妙(?)なお商売。
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先日、Twitterには少し書いたのですけれど。
この間のギフトショーで、ちょっと困ってしまうウリコミをされてしまったのです。
見本市の出展者というのは、それはそれでこちらがウリコミに行っている訳なのですが
そういう出展者にあてて、例えばパッケージの企画会社さん、
オリジナル商品を企画している企画会社さんやデザイナーさん、
コラボ商品を作りたいメーカーさん等々、
商品の買い付け以外のご商談というのもたくさんあります。
はたまた、書籍掲載や取材のお申込み、催事へのご勧誘、
そういったものもお受けいたします。
そんな中で今回、ちょっと言葉に詰まってしまったのが…
戻りました~
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えぇぇぇ…東京出張から戻りました。
企業の方も含め何人もで出かけているのですが(いや別にツアー組んではないですが)
1泊2日班から最長はたぶんブースデザイン担当の後藤史明さんの約10日逗留まで
いろいろなのですけれども(そう書いているブログ担当は4泊5日)
だーいぶ疲れておりまして
気が緩んだのか今日は朝から背中が…
当財団のブースは他の団体出展に比べてかなりユニークでして
その企業の担当者がいなくても、ある程度のご返答が可能なスタイルを採っております。
技術的なご説明もできますし、特色などもしっかりとご案内。
(さすがに「東京のどこかで売ってないの?」までいくと難しかったりしますが
商品そのものや価格についてはしっかりお話できます)
しかしそのため複合伝票や複合名刺交換が発生します。
数社分を一人で説明して資料も渡して発注も受けて、伝票と頂戴したお名刺は1枚だけというのを
必要なだけコピーしたり転記したりして振り分けなくてはなりません。
(商工会さんや自治体さんなんかのブースでもありうる話です)
たまの自画自賛をいたしますが、当財団は自称「団体出展にしては格別の速さ」で
トータルの仕分けを完了。
夜な夜な仕分けを行って振り分けていき、残った最終日分と複雑なものの
伝票仕分け、名刺仕分けも終わり、あとは各企業さんに渡すだけ。
至急要連絡のお話は全て連絡済み。
これでようやくお休みをいただける訳でございます。
しかし随分と日が長くなりました。
こう書いている5時半過ぎが薄明るいとは…
留守の間に春一番も吹いたようで、春の足音が随分と近づいているようですね。
それだけでちょっと気持ちが軽くなってきます。
今後ギフトショーで発表になった新商品など
地場もの商品でいろいろ興味深いものがあったので
この先順番にピックアップしていきますね
そうそう、ユニークと言えば、当財団の出展ブースでは
その場にいない(出展してない)企業さんの情報案内も
ある程度可能だしカタログ手配とか商品案内もできたりするのです。
何といいますか、これがこのエリアの「産地力」の一つです。
ギフトショー・自社出展企業さんのご案内
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当財団ブースには25の県内企業さんが参加しておられますが
自社出展をしておられる企業さんも増えてきています。
把握している限りのご案内を。
ただし私どもは東館におりまして、
自社出展の方は西館の3ホール・4ホールです。
距離がありますが、できれば両方お立ち寄りください☆
ギフトショーブースのもようです☆
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北陸ではなぜ工芸品を作る地場産業が盛んか・続
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加賀藩時代に奨励されて盛んだった工芸品。
全国にそういう工芸品はたくさんあるはずなのです。
国の「伝統的工芸品」に指定されるには、出荷額などの条件があり
制度が始まったころに一定の規模を持ったものでないとこのいわゆる「伝統的工芸品」の
指定を受けられなかったのですが、例えば産地として小規模なもの、
高岡市立野~福岡あたりで作られていた「菅笠」も「加賀菅笠」として有名なものでしたし
(19世紀に出荷額8万石だったと言います)
城端絹とか、石川県でも二俣和紙、能登上布、牛首紬など、いろいろな伝統工芸が残っています。
しかし、江戸や京都といった都でもないこの北陸に、なぜ工芸品産業が盛んかというと
まずは前記事で書いたとおりなのですが、なぜ残って現在に至ったか…?
北陸ではなぜ工芸品を作る地場産業が盛んか
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…と言われると、どう申しましょう。
(という検索履歴があったのです)
学者さんではないので、確固たる話ではないですが
なんとなくこんなところかな、というのを少し。
まずは○○藩と言っていた時代の地図は、今の地図とは違っていて
高岡など富山県の西の方は加賀藩に含まれます。
富山の東の方・富山藩と、加賀市のあたり・大聖寺藩は
加賀藩の支藩。
17世紀前半、三代藩主利常公が隠居をなさるときに、
加賀藩を長男、次男三男を分家して、というかたちでできた
関係の深い親戚筋だということをまず念頭に置いていただくのがよいかも、です。
年末年始のお知らせ
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財団法人高岡地域地場産業センターの事務
および本館展示場、御旅屋店D.frontとも、
本日28日をもちまして、年内の営業を終了させていただきます。
また、年始営業開始は1月4日としております。
ご不便をおかけいたしますが、よろしくお願いいたします。
本年中の皆さまのご愛顧に、心より御礼申し上げます。
皆さまどうぞ、よい新年をお迎えくださいませ。
出張ブログです@有明
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